内田百輭『鶴』 小田原の軽便鉄道

内田百輭『鶴』(旺文社文庫)を読んでいる。
漱石先生臨終記』に、百輭が漱石から借財するために、滞在中の湯河原の旅館を目指すくだりがある。小田原から湯河原まで、軽便鉄道に乗って行く。
「小田原から小さな軽便鉄道に乗つたところが、満員で腰をかける事も出来ず、起つてゐるには、天井が低いから、頭がつかへて、中腰でゆらゆらしてゐると、線路の曲がり角で、よろめいて後に腰を掛けてゐる人の上から腰を掛けてしまつた。さうするともう起ち上がれないのである。又下敷きになつた人も文句を云はなかつた。小さな汽罐車はぴいぴいと云ふ計りで、のろくて、坂を登る時は逆行しさうになつた。坂を下る時、片側を見たら、切りそいだ様な崖で、そのすぐ下に迫つてゐる海は、恐ろしい淵の色をしてゐた。雑木の間を走りかけて、急に止まつたと思ふと、機関手が下りて線路の上に散つてゐる枯葉を拾つて除けた。葉つぱの上を走つて、辷つた事があると云ふ話を車内の人がした。」
私は軽便鉄道が大好きなので、こういう文章を読むと、もうわくわくしてしまっていけない。
先日、川崎長太郎の『抹香町・路傍』を読んだ時に、小田原のおもちゃの様な軽便鉄道はなくなってしまった、という様な文章があって、気にしていたのだが、思いがけず近い間に同じ軽便鉄道の様子を伺い知る事ができた。